東京高等裁判所 昭和33年(う)982号 判決
被告人 佐藤元治
〔抄 録〕
本件控訴の趣意は、検察官中村正夫作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。
所論に鑑み記録を調査するに、本件の公訴事実は、被告人は今市市岩崎一五二九番地に水田を所有している者であるが、同字一五四八番地附近から分岐して右被告人所有の水田の南側を流れる用水堀は、佐藤富吉外四名が共同管理していて、公然とこれを利用することができないにも拘らず、昭和三十年六月十二日午後一時ころ佐藤富吉が該用水堀から同人所有の同字一五三五番地に用水取入をしていたのを勝手に用水取入口を稲束をもつて塞いでその潅漑を停止させた上、右自己所有水田に引水し、もつて佐藤富吉の水利を妨害したものであるというのであるが、原判決は(一)被告人がその所有にかかる同所一五二九番地水田に右用水堀の水を利用する権利あるかどうかの点については判断を避け、(二)昭和三十年六月十二日昼ころには右用水堀の水量は平日の三倍に達して奔流して居り、佐藤富吉所有の一五三五番地水田に流入したため、同水田の水量は満々としてあり余る状況を呈し、用水取入口附近の稲苗は水面になびき倒れんばかりであり、(三)被告人は右佐藤富吉の稲苗が用水取入口からの奔流によつてなびき倒れるのを防ぐため、その水流を調節する目的をもつて稲苗三束を用水取入口に置いたのであつて、佐藤富吉の右水田への引水を妨害したものではなく、また妨害する意思がなかつたと認定し、本件公訴事実につき犯罪の証明なしとして無罪の判決をしていること所論のとおりである。
よつて記録に基き原審において取り調べたすべての証拠を検討し、当審の事実審理の結果と併せ原判決に所論のような事実誤認の違法ありや否やを考察するに、先ず、(一)原審及び当審の検証の結果その他の各証拠によれば、本件公訴事実に挙げている用水堀とは、その上流が斎藤菊一所有の今市市手岡一四九番地、一五〇番地各水田の北側を東から西に流れ、同市岩崎一五五〇番地渡辺てい所有の水田の北側から西側を通り、被告人所有の同所一五四八番地の北西側に至り、同水田と佐藤徳三郎所有の一五四九番地水田と対向する地点(当審検証調書添付図面B点)附近において西方と南方に分岐し、西方の水路は佐藤富治所有の同所一五三八番地、一五三七番地各水田、その西側に隣接する佐藤富吉所有の同所一五三五番地水田、更にこれの西側に隣接する矢野政次所有の一五〇一番地水田の各北側に沿うて西に進み、右矢野政次の水田の北西端で南折し、同水田の西側に隣接する佐藤徳三郎所有の一五〇二番地の水田との間をやや南西に通ずるもの(前記検証図面ABDEの水路に該当するから以下ABDE用水堀又はBDE用水堀と略称する)であつて、更に前記分岐点B点から南方に分れた水路は、佐藤富治所有の同所一五三八番地水田とその南側に隣接する半田吉一郎所有の同所一五三九番地水田の各東側に沿い南西方に流れている(前記検証図面BCの水路に該当するから以下ABC用水堀又はBC用水堀と略称する)のであるが、一方、被告人所有の同市岩崎一五二九番地水田は、前記佐藤富吉所有の一五三五番地水田の北西方、矢野政次所有の一五〇一番地水田の北方に位し、右一五二九番地水田の東側及び両側を囲んで幅員約〇、二七メートルの用水堀があり、その上流は被告人所有の同所一五三二番地水田の北側から東に流れ、南折して同水田の東側及び佐藤富治所有の同所一五三三番地の東側を通り、更に西折して同水田の南側を西方に流れ、被告人所有の同所一五三〇番地水田の東側を通り、前記一五二九番地水田の東側に達している(前記検証図面中FGHの記号を付した用水堀に該当するから、以下これをFGH用水堀と略称する)ものであつて、右ABDE用水堀とFGH用水堀とは互に相交叉する箇所も合流する箇所もなく、一五二九番地水田南側のFGH用水堀と、一五三五番地、一五〇一番地各北側のBDE用水堀とはほぼ平行し、その間一メートル以上の幅員を有する作馬道を隔てて対向していることが明らかである。右の各水田及び用水堀の地形と、原審及び当審の証人佐藤隆雄、佐藤富治、佐藤富吉、佐藤徳三郎、矢野正一並びに原審証人半田吉一郎の各証言を総合すると、右BDE用水堀はその水路に接着した水田の所有者である佐藤富治、佐藤富吉、矢野政次、佐藤徳三郎が潅漑用水を利用するため設けられたものであり、BC用水堀は同様に佐藤富治、半田吉一郎においてその用水を利用するため設けられたものであり、即ちABDE用水堀、ABC用水堀の水利権者は右五名に限られている事実並びに被告人所有の一五二九番地水田の潅漑用水は、もと一五三一番地、一五三二番地水田の北方にある大川から樋をもつて引水していたが、その樋が損壊した後は一五三二番地水田の北方の湧水がFGH用水堀を流れるのでこれを用水として利用していたのであつて、被告人はBDE用水堀の水を自己の水田に利用する権利を有していない事実を確認することができる。
被告人は原審第十一回公判期日に、一五二九番地水田の用水には過去二十年来BDE用水堀の水を利用していた旨陳述し、恰かもその用水について水利権あるかの如き主張をし、また証人高藤吉五郎は、BDE用水堀とFGH用水堀の間には当審検証調書添付図面のへ点とヲ点との間に幅員一尺ないし一尺五寸の堀があり、その堀の上には丸太がならべられ、その上を土で覆うて暗渠となつていて、被告人はこの水路を利用してBDE用水堀の水を一五二九番地水田に引水していた旨の陳述をし、証人斎藤菊一は同地点には幅員一尺位の堀があり、BDE用水堀の水がその堀を通つて一五二九番地水田に流れていた、右の堀は暗渠ではなく、橋もないのでこれをまたいで作馬道を通つていた旨の陳述をし、また証人斎藤慶一郎の証言中には、昭和二十八年四月ころ、BDE用水堀から、被告人の一五二九番地水田に水の流れるようになつている堀を見た、その堀は杭を打つて横棒をならべ、上に丸太を渡していた旨の証言があり、いずれもBDE用水堀とFGH用水堀とを連絡する水路が設けられてあつて、被告人は公然とBDE用水堀の用水をその水路によつて一五二九番地水田に利用していた事実があるかの如き証言をしているのであるが、高藤証人の証言は、原審においては右の暗渠のあることは七、八年前から知つていたと陳述しながら、当審においては当初被告人が十数年以上前からBDE用水堀の水を利用していたと陳述し更に後には二十数年前から暗渠があつたなどと陳述し、その証言が前後一貫せず、その他前記各証人の証言においては堀が明渠であるか暗渠であるか、またその堀の形状、構造等について殆んど一致を欠いているので、同証人らの証言の如く、BDE用水堀とFGH用水堀とを連絡する明確な明渠又は暗渠が存在していた事実は到底認め難く、従つて被告人がBDE用水堀の水を公然と使用する権利を有していた事実を右証人らの証言又は被告人の陳述から認定することはできない。
尤も原審及び当審の証人佐藤徳三郎、佐藤富吉、佐藤富治の各証言と検証の結果とを総合すると、昭和二十四年のキテイ台風により、佐藤富吉の一五三五番地水田の北西部と、被告人の一五二九番地水田の南東部の相対する地点即ち当審検証図面へ点とヲ点とを結ぶ線の附近の作馬道が破壊され、両用水堀の間に東西の幅員約一米位、中央部の深さ約〇、二メートル位の窪地が形成され、BDE用水堀の水量の多い時にはわずかにその水が右窪地を通つてFGH用水堀に浸出していたが、この窪地のため作馬道の通行が妨げられるので、昭和二十八年五月ころ佐藤徳三郎が同所に篠竹を敷きその上を土で覆うて作馬道の修理をした事実及び本件事件の発生前、被告人が一五二九番地水田の荒がきに多量の水を要する場合に、右窪地を利用してBDE用水堀の用水をFGH用水堀に通し、右水田の潅漑に利用したこともあつたという事実を窺うことができるのであるが、この事実によつて被告人がBDE用水堀の水利権を有していたことを認めることができないことはもちろんであり、むしろ被告人が右のようにBDE用水堀の用水を利用する際、前記佐藤富吉ら水利権者の承認を受けなかつたこと、また右水利権者側からも何等抗議に接しなかつたこと等から考察すれば、被告人の右用水の利用は公然と行つたものではないが、その利用は稀に且つ一時的に行われたものなので、水利権者側においても特に取り上げて問題とすることなく暗黙裡にこれを承認していたものと認めるのが相当である。
原判決が(一)被告人が昭和二十四年以来七、八年の長期にわたつて何人からの苦情もなく継続してBDE用水堀の水を自己の水田に利用且つ管理していたこと、(二)佐藤徳三郎がFGH用水堀の水をBDE用水堀に引き自己の水田一五〇二番地の潅漑に利用していること、(三)昭和二十八年今市市手岡地区の水田について冷害対策として暗渠排水工事を実施するに当り、被告人の要求により手岡地区の斎藤菊一、斎藤慶一郎らが当初の設計を変更し、その地区の水田の水をABCD用水堀に排出するよう工事を実施した事実等を認定し、これらの事実により、慣習法上被告人に本件BDE用水堀に対する水利権が成立することも認め得るかの如き判断をしているが、(一)被告人が右のように継続して長期にわたりBDE用水堀の水を一五二九番地水田に利用並びに管理していた事実を確認し得る証拠に乏しく(この点被告人及び証人高藤吉五郎の前記供述は措信できない)、被告人が稀に右用水を利用しても水利権者から苦情抗議のなかつたのは前認定の如く水利権者らがこれを一時的のこととして黙認していたためと解すべきであり、(二)佐藤徳三郎がFGH用水堀の水をBDE用水堀に引き自己の一五〇二番地水田の潅漑に利用している地点は、当審検証の結果及び佐藤徳三郎の証言により明らかなように、被告人の一五二九番地水田の用水取入口より下流に位し、その地点の水は被告人の右水田のいわゆる捨て水に当り、その地点の水を下流の水田所有者たる佐藤徳三郎及び半田沖次郎らが如何に利用するも被告人には何等利害関係がなく、従つて佐藤徳三郎は利害関係ある右半田沖次郎と協議の上右用水を使用しているのであるから、この事実をもつて、被告人が自己の一五二九番地用水取入口より不流になお水利権者のあるBDE用水堀用水を、上流において利用し得る根拠とすることはできない、(三)または斎藤菊一らの前記暗渠排水工事の設計変更の結果、仮に被告人の弁解する如くABCDE用水堀の水量が増加するものとしても、右工事設計変更に関して被告人はBDE用水堀の水利権者たる佐藤富吉らと何ら協議することなく、またその計画について一切告知することもなく、右工事に関係ある斎藤慶一郎、斎藤菊一ら手岡地区の者もまたBDE用水堀の水利権者又は岩崎地区の水田所有者、暗渠排水工事関係者等に何等連絡せず、ただ単に被告人個人と斎藤菊一ら個人との間の内部的交渉によつて実施されたものであることが証拠上明瞭であるから、この工事設計変更の事実によつて被告人が直ちにBDE用水堀の水利権を取得すべきいわれはなく、またその工事以前から右水利権を有していた事実認定の根拠とするにも足りない。右の理由により原判決の前記認定ないし判断は首肯できないものである。
(二)次に昭和三十年六月十二日午後一時前後のころのBDE用水堀及び佐藤富吉所有の前記一五三五番地水田内の水量につき考察するに
原判決は証人斎藤菊一と被告人の供述とを採つて前記のようにBDE用水堀も佐藤富吉の水田も水量が極めて多量であつたと認定しているが、斎藤菊一は自己の水田の水をABCDEの用水堀に放出した事実を証言しているのみで、その用水堀や佐藤富吉の水田の水量については何ら実見することなく従つて全くこの点の陳述がないのであるから、原判決の前記水量の認定はただ被告人の供述のみを根拠としたことが明白である。しかし原審及び当審の他の各証拠を検討すると、被告人の原判決認定事実に符合する供述は到底措信できないものと断ぜざるを得ない。即ち被告人は原審第十一回公判期日において「六月十二日の午前十二時半ころ第一回は(ロ)点のところの「クロ」を切つて水を落し、一五二九番水田に戻つて水の入り具合をみると未だ足りないと思つたので第二回には午後一時ころ(ハ)点のところの「クロ」をきつて水を落し、水の落ち具合をみてから一五三五番の佐藤富吉の水口を稲束で調節したのです」と陳述し、その時刻のころは被告人の右水田の水量が荒がきに要する程度にも達していないことを自ら明らかにしているのであるが、一五四八番地水田の放出口が一ケ所の場合は右のように水量が十分でなかつたのが放出口を二ケ所にした為、急激に用水堀の水量が増加し、いわゆる奔流する程度に達したものとは到底認め難いのみならず、原審証人矢野キヌ、同矢野ハナ、当審証人矢野正一の各証言を総合すると、矢野正一方所有の一五〇一番地水田は、六月十二日朝から荒がきをしていたのであるが、BDE用水堀から取り入れる水量が十分でなく、昼食後一、二時間まで作業しても一反八畝歩の水田の約半分の面積だけの荒がきを為し得たのであり、当時同水田の水量は田底から五分ないし二寸程度の水深に過ぎなかつたことが明らかである。若し証人斎藤菊一の証言及び被告人の供述のように、斎藤方の水田三反五畝の水深六寸に相当する水量と被告人の一五四八番地の水田一反歩の水深四寸に相当する水量が六月十一日夜から翌十二日午後二時過ぎまで放出されたとし、その水が原判決認定の如く全部BDE用水堀を下流に流れたとすれば、佐藤富吉の水田は一反四畝二十歩、矢野政次の水田は一反八畝歩、被告人の一五二九番地水田は一反一畝歩合計四反三畝二十歩の水田に右用水が流入することとなるから、その各水田に流入する水量は平均水深四寸ないし六寸以上に達する計算となり、特に佐藤富吉の水田にのみ多く流入し、その下流の水田には流入しないという事情がない限り、被告人の一五二九番地及び矢野方の一五〇一番地の水量が同人及び前記証人らの言う如く少なかるべき筈がないわけである。然るに被告人及び矢野政次方の右水田が水量に乏しかつたことは前記のとおりであるから、斎藤菊一及び被告人の上流にある前記各水田の水を放出したとしても、その水量は同人等の述べる程度により少なかつたものであり、しかもABCDE用水堀はB点において南方に分岐しているから、その放出した水の一部はBC用水堀にも分流し、それがため佐藤富吉、矢野政次及び被告人の各所有水田に流入する水量は原判決の認定するところよりも遥かに少なかつたものと認めることができる。
(三)次に被告人が佐藤富吉所有の一五三五番地水田の用水取入口に置いた稲苗束の数量の点を按ずるに、
原判決は、証人佐藤スイが稲苗束を現認したのが当日午後二時前ころ、佐藤シズがこれを現認したのが午後二時過ぎころと供述した如く認定し、同証人ら及び証人佐藤富吉の証言は一致をかき且つ不自然であるとしてこれらを排斥し、証人高藤吉五郎の証言及び被告人の原審における供述を採用して、当該稲苗束は三束であると認定しているのであるが、原審の佐藤スイ及び佐藤シズの各証人尋問調書によれば、佐藤スイは午後四時ころ、また佐藤シズは午後三時ころそれぞれ前記稲苗束を現認した趣旨の証言記載があるのであつて、原判決が何を根拠に右のように証人の尋問調書の記載と異なる事実の認定したのか甚だ不可解であり、かような誤つた認定事実を前提として同証人らの証言を排斥しているのであるから、原判決の証拠の取捨は到底正鴻を得たものとは認められないばかりでなく、被告人の供述も司法警察員に対するものと原審におけるものとの間に数量のくいちがいあり、高藤吉五郎の証言も六月十三日朝現場の用水取入口附近に置いてあつた稲苗束が三束であつたというに止まり、被告人が右取入口に差しおいた数量を直接見分したものではないし、被告人が同所に差しおいた苗束が一束もかけることなく翌朝までその附近に置いてあつたと認める証拠もなく、殊に佐藤富吉の証言によれば、同人が翌朝同現場に赴いた時は苗束は全然見当らなかつたというのであるから、高藤証人の証言や被告人の供述を採用して当該稲苗束が三束であつたと認定するのは相当ではなく、むしろ直接これを現認した前記証人佐藤スイ、同佐藤シズの各証言により、被告人が右用水取入口に差し置いた稲苗束の数量は少なくとも六、七束と認定するのが至当といわざるを得ない。
以上各事実並びに各証拠によつて本件の場合の被告人の行為を考察するに、これは後記罪となるべき事実において認定しているとおり、被告人は自己の所有にかかる一五二九番地水田を荒すための用水が不十分だつたので、昭和三十年六月十二日ひるころ、自らその用水を利用し得る権限がなく、また水利権者の承諾もなくして、ほしいままにBDE用水堀の用水を右水田に利用しようとして、佐藤富吉所有の一五三五番地水田の用水取入口に稲苗束約六、七束を差し置いて同所を塞ぎ、もつて用水取入中の同人の水利を妨害したものと認むべきである。
それ故原判決が右事実の証明がないと判断したのは事実誤認の違法を敢てしたものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条により原判決を破棄し、なお同法第四百条但書に従い当裁判所は自ら次のように判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は栃木県今市市岩崎一五二九番地の水田一段一畝歩を所有する者であるが、昭和三十年六月十二日正午過ぎころから、右水田の荒がき作業をしようとしたが、その作業に要する水量が十分でなかつたので、同所一五三八番地、一五三七番地、一五三五番地、一五〇一番地各水田の北側を東から西に通ずる佐藤富吉ら外四名の管理する用水堀の水を利用しようと考え、自らは右用水堀の水を利用する権利もなく、また同用水の水利権者の承諾も得なかつたにも拘らず、同日午後一時ころ、佐藤富吉所有の一五三五番地水田の北東部にある用水取入口に稲苗束約六、七束を差しおいてその取入口を封鎖し、もつて右水田に用水取入口の佐藤富吉の水利を妨害する行為をしたものである。
(滝沢 久永 八田)